2006年11月8日

偉大で、華麗で、グレートな、あいつ。

迂闊にもまったくノーチェックだったのだが、ななななんと村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」が出版された。

中学生の頃から、龍/春樹のダブル村上本はすべて購入してきたオイラだが、翻訳ものは数点しか読んでいない。
しかし、あの「グレート・ギャツビー」(個人的には「華麗なるギャツビー」が一番馴染みがよい。意図的とはいえ誤訳なんだろうけど)となれば、これは見過ごすわけにはいかないであろう。もちろん購入しました。
読み始めるのが、今から実に楽しみである。

さらにビックリしたことには、かの「The Long Goodbye」というか「長いお別れ」の村上訳も来年には出版される予定だというではないか。これは、ホントにホントに楽しみ。
村上春樹さんの小説の構造、方法論の一部は、いわゆるハードボイルド小説そのものと言ってよいと思うが、その彼がよりによって、あのチャンドラーを、あの「長いお別れ」を、自ら訳してみせるというのだから、これはちょっとした見ものである。
来年、日本のバーではギムレットが流行るかも...........

ところで、村上訳「The Long Goodbye」は、やはり「ロング・グッドバイ」なのだろうか?
「偉大なる...」も「華麗なる...」も、原題とは微妙にニュアンスが異なる、ということで「The Great Gatsby」は「グレート・ギャツビー」に落ち着いたのだろうが、正直に言って、さすが日本を代表する小説家!!!と唸ってしまうような絶妙な新邦題を提示してほしかったという気持ちがある。
キャッチャー・イン・ザ・ライ」
も、しかり。
せっかくなら、日本では「長いお別れ」ですっかり定着した感のあるこのハードボイルド小説の名作に、鮮烈な新しい邦題の命名を期待したい気もするのだが..........

投稿者 かえる : 23:51 |

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mbt shoes san francisco かえるリポート 偉大で、華麗で、グレートな、あいつ。

mbt schuhe kisumu black : 2014年12月8日 13:21

コメント

たびたび お邪魔してすみません。
「グレート・ギャツビー」 私も早速読んでみたいと思います。昔 野崎孝氏の翻訳による「華麗なるギャツビー」を何度も読み返した思い出があります。大好きだったロバート・レッドフォード、ミア・ファロー主演の映画も素晴らしかった。ああ もう一度見たいなあと思います。
でも物語は華やかさとは裏腹に喪失感に満ち溢れたものでしたね。

村上春樹さんがフィツジェラルドのこの小説を翻訳するとは、なんだか納得です。今 アマゾンに注文してしまいました。届くまで待ちきれません。

投稿者 kaiママ : 2006年11月9日 00:56

kaiママさん

出たばかりの「ひとつ、村上さんでやってみるか」を読んでいてコレが出ることを昨日知ったのですが、つい先ほど会社帰りに立ち寄った本屋に並んでいるのを見つけ、即購入してきたところです。

ちなみにぼくは、映画の方が小説より先でした。だから「華麗なる....」が一番しっくりくるのです。
あのシャツのシーン、切ないですよね。

べつに意図したワケじゃないんだけど、数年に一度、節目のような感じでこの小説を読み返しています。
その度、感じ方が違っていてとてもおもしろい。
もちろん毎回とても切なくなるのですが、その質というか深さが、重ねてきた年齢やそれに付随する経験と共に変化していくという感じ。
今回はどう感じるのか、とても楽しみです。

投稿者 かえる : 2006年11月9日 01:13

「華麗なるギャツビー」、読んだのも映画を観たのも学生の頃だから、
もう20年も前のことです。かえるさんの記事を読んで、もう一度
読みたくなり、本棚からひっぱり出してきました。
ずい分昔のことなので記憶もだいぶ薄れていますが、私は映画のほうが
とても切なかったような思いです。

「グレートギャツビー」も読んでみたいです。
訳者が変ると、受ける印象も変るのでしょうかね。

投稿者 りこ : 2006年11月9日 22:23

今ちょっと検索してみたのですが、アレって1974年に制作された映画なんですね。脚本は、かのフランシス・フォード・コッポラ。叔父の本棚にあったキネマ旬報でスチールは見ていましたが、実際に映画をはじめて見たのはテレビ放映だったか、レンタルビデオだったか.......
たぶん、りこさんもそんな感じだと思うのですが、いずれにしろずいぶん昔の話ですよね。

村上氏は「賞味期限のない文学作品は数多くあるが、賞味期限のない翻訳というのはまず存在しない」そして、この作品の翻訳の基本方針を「これを「現代の物語」にすること」とあとがきに書いています。
微妙といえば微妙な差なのでしょうが、やっぱり訳者によって受ける印象は変わるんじゃないですかね。ポール・オースターなどの訳者として有名な柴田元幸氏との共著「翻訳夜話」(スゴイおもしろい本でした)の中で、両氏が同じ作品を訳しているのですが、読み比べるとやはり読後感が異なり、興味深いですよ。
もっとも、りこさんの場合、原文で読んじゃうという手もあるのでは?!

投稿者 かえる : 2006年11月10日 00:44

たびたびすみません。
そんな昔の映画だったのですか!ビックリ!私はたぶんレンタルビデオで
観たんじゃないかな。

「賞味期限のない翻訳というのはそんざいしない」確かにそうかもしれません。
私の大好きな作品「赤毛のアン」(これはかえるさんは読んだことが無いでしょう)、
村岡花子さんが約されたものが私は好きなのですが、今でこそ外来語として使われている言葉を
むりやり日本語に訳していたりして、時代を感じます。(初版がいつなのか、2階に調べに行く力が
今はありませんが)
私は村岡さんの翻訳が気に入りすぎて、(言葉の古さも結構おもしろい)、
後に他の人の訳された作品を読んで受け付けなかったのですが、
確かに訳す人によって、だいぶ印象は変りそうですね。
楽しみです。

投稿者 りこ : 2006年11月10日 02:24

りこさん

kaiママさんといい、りこさんといい、どうしてこのブログにコメントくださる方の中には、謝りながら....というパターンが多いのか?、朝から反省しているワタクシかえるでした。(ちなみに、HNの「かえる」の由来は村上春樹作品に登場する「かえるくん」とは無関係です。)
コメントしてやるから感謝しろよ、くらいのスタンスの方がむしろ正しいと思われますぜ。
真夜中のコメント、ありがとうございました。

「赤毛のアン」はたぶん読んだことないですね。でも、「悪魔(ディモス)の花嫁」と「花のあすか組!」は全巻所有しております。あ、ぜんぜん関係ないですね。
ぼくの読書経験ってかなり偏っている気がします。有名な本でちゃんと読んだことのあるものって、極々一部です。

昔の翻訳本って、たしかに言葉遣いに違和感があったりしますよね。
たまには有名文学作品でも読んでみるかぁ、なんてブックオフで100円の文庫本を買ってみたりすることがあるのですが、途中で投げ出しちゃうことも多いです。字も小さ過ぎてアタマ痛くなって来ちゃったりして......

それにしても、2階の本棚に並ぶもかはな家の蔵書、見てみたかったなあ。
人の本棚って気になりますよね。
逆に言うと、自分の本棚を見られるのって、(心の中をのぞかれるようで)ちょっと緊張するものだけれど。

投稿者 かえる : 2006年11月10日 07:59

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