2006年2月8日

「老犬 クー太18歳」と「はるがいったら」 犬と人間の不思議な関係

かずさんから教えていただいたNHKにんげんドキュメント「老犬 クー太18歳」を見た。
人間と犬の関係は本当に不思議だ。精神的な側面において、ある種の共生関係にあると思う。
飼い主と犬は、愛情が深まるほど、互いに依存しあうようになる。こんな動物、他にいるのだろうか?
猫はどうだろう? 飼い主はともかく、猫は飼い主に依存しているわけではない気がする。
馬は? やっぱりちょっと違うと思う。
1年間に人間の4歳分年を取るという犬は、あっと言う間に飼い主の年齢を追い越し、やがては飼い主よりも先に死ぬ。
そのあらかじめ約束された悲劇性にすら何かの意味があるように思えてしまうほどだ。

18年生きたクー太を看取った飼い主さんが、番組の最後でこうつぶやく。
「やっぱりクーを飼わなければわからなかったことは多かった。クーから教えられたことはとても大きい」
このブログで今まで何度も、折に触れ書いてきたような気がするが、やはりこの一言につきる。
もちろん、それは犬がなにか高尚な生き物だという意味ではない。
彼らの振る舞いのほとんどは、生きるためというシンプルな理由によってなされているだけで、深く何かを考えているわけではないだろう。
飼い主になついたり、病気になったり、あれやこれやにも、当たり前だが特に意味はない。
基本的に、単純で、狡猾で、倫理感に欠け、ちょっと足りない動物である。
でも、そんな間の抜けた彼らから、時々ぼくらはハッと色々なことに気付かされるのだなあ。
ホントに不思議、犬と人間の関係って。


老犬介護と言えば、最近読んだ小説に、飛鳥井千砂さんの「はるがいったら」というものがある。
老犬の介護をしながら高校に通う何ごともそつなくこなすが熱くなれない「いい子」な弟「行」、両親の離婚により彼とは離れて暮らしている完璧主義の姉「園」、婚約者がいながら園と関係を続ける兄弟の幼なじみ。
みんなそれぞれ、普通でいて、やっぱりちょっと普通じゃない。
みんなそれぞれ、精一杯に生きていて、少しずつ問題を抱えている。
みんなそれぞれ、優しくて、残酷。
重要な登場人物にぼくと同じ名前の男がいて、文中で何度も自分の名前が出てくるので何だかヘンな感じ。
不思議な読後感を残した本だった。

ハルの死体をぼうっと眺めた。さっきまだ生きている時に、体を撫でてやった時と変わらない姿だ。でも死んでいる。
それが自然のことのような気がした。こんなボロ雑巾みたいなガリガリの体で、よく生きていたもんだ。
「生きてる」と「死んでる」の違いって何だ?そんなことをふと考えた。さっきと全く同じ姿なのに、さっきは「生きて」いたハルが、今は「死んで」いる。ひょっとして、ハルはもうずっとずっと前から死んでいたんじゃないだろうか。そんな訳のわからないことも考えた。
リンゴが好きだった。テーブルからハルに向かってリンゴの八つ切りにしたのを投げてやると、ジャンプして口でキャッチして、シャキシャキと音をさせて食べた。
クリスマスにシャンパンの栓を父親が飛ばしたら、びっくりして腰を抜かした。それ以来、ビン状のものを見ると、急いで逃げた。
雪が積もった日、園と恭ちゃんと三人で、ハルの散歩をした。道路の横の溝に雪が積もって上げ底になっていて、気付かずハルと俺が歩いたら、二人で溝にスポッとはまった。
園と恭ちゃんに大笑いされた。
俺と園がおやつを食べていると、前肢で俺たちの背中をトントンとやって、「僕にもくれ」とせがんだ。
心の底の方で、何かがチリチリと鳴っている気がする。「哀しい」とか「辛い」とかは、こういう状態のことを言うんだったか?
何でもいいや。今のこの気持ちに、名前なんて付けなくてもいい。そう思った。これが「哀しい」とか「辛い」とかだと決めてしまったら、俺はまたいつものように、そういうこともあるんだ、とやり過ごしてしまう。

飛鳥井千砂 「はるがいったら」

言うまでもなく、モーフィーも日々年をとっている。当然いつか死ぬ。
若くても、事故にあったり、病に倒れたりするかもしれない。
でも、それはそれ。
「生きてるあいだは楽しくやろうぜ!」
今はただそう思っている。
「老犬 クー太18歳」のラスト、海岸で足の悪い老犬と海岸で遊ぶ青年の姿がとてもよかった。
サッカーボールを蹴る青年、老犬はもうそのボールを追うことは出来ない。
でも、老犬は老犬で波打ち際で楽しんでいる。
あれはよかった。本当によかった。
ああいう風になりたいな。
一緒にボールを追いかけた思い出がお互いに沢山あれば、きっともう実際にボールをやりとりする必要なんてないんだよね。

投稿者 かえる : 00:40 |

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はるがいったら

両親が離婚したため離れて暮らしている姉弟。彼らが幼い頃に拾った犬のハルは寝たきり

ぷーちなび犬本 : 2006年2月8日 11:28

mbt kabisa

cheap mbt shoes on sale かえるリポート 「老犬 クー太18歳」と「はるがいったら」 犬と人間の不思議な関係

mbt kabisa : 2014年12月8日 21:08

コメント

私も見ました。
わんこと人間の関係って本当に不思議な関係ですよね。
いつもいつもわんこのお世話している飼い主。与えている事ばかりと思いきや、実は日々あのつぶらな瞳から生きていく中で大事な事を教えてもらっているような気がします。
心の奥深くで人間と犬って支え合っているような気がしますよね〜。

私、最後砂浜で老犬と遊んでいる青年の姿を見て涙してしまいました。
ボール大好きなムサシとなんだか重ね合わせてしまって。。。
たとえ年老いてボールが追いかけられなくてもあんな風に最後まで楽しい時間を共有していけたら。。。と思います。
クー太、最期まで家族の皆さんの愛情に包まれて安心して安らかに眠っているでしょうね☆

投稿者 ムーママ : 2006年2月9日 07:51

ムーママさん
はい、日々教えてもらっていますね。
年老いたからなのか、もともと足が悪いのか、ボールを追うことも出来ない老犬を見てぼくらは、かわいそう、とかつい同情したくなってしまいます。
でも、わんこはそんな自分のことをかわいそうとか惨めだなんてこれっぽっちも思ってないんですよね。
なんか不便だなあ、くらいは思ってるんでしょうけど。
今の自分が出来ることを精一杯やっている、今の自分が楽しめることを精一杯楽しんでる。
他のわんこも、そんな仲間に同情もしなければ、差別もしない。
あぁ犬たちの世界に対する認識は潔くて美しいなあ、とぼくは思います。いいこと教わったなあ、と思います。
ちょっとぼくの感じ方がヘンなのかもしれないけれど。

健康な時はたくさん遊ぼうと思うし、年とったり病気になったりしたら、その状況で楽しめることをあれこれ考えたいと思います。
一緒に散歩したり、ボール投げしたり、
あるいは、それぞれ勝手に別のことをしたり、
それでも不思議と一緒に時間を共有できるのが犬と人間のいいところだと思う。
もしかしたらまったく別の世界を生きているのかもしれないけれど(なにせヤツらはワンワンとしか話せないので何考えてるのかよくわからなし、彼らの嗅覚に比べたらぼくたちの鼻なんて付いてないも同然ですからね)、それでもたしかに同じ楽しい時間を共有できる、犬と人間ってなかなかイイ関係ですよね。
クー太の18年間に負けないくらい幸せな一生をムサシにもモーにも送らせてあげたいものですね。

それはそれとして、老犬介護もそうだけど、獣医さんのお仕事も大変ですよねえ。あらためて感じました。

投稿者 かえる : 2006年2月9日 23:40

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