2007年12月2日

ふたりはともだち

赤ちゃんと犬、みーたんとモーフィー。
最近は、仲良く遊んでいます。
少なくても...............みーたんの方は、そのつもりのようだ。
みーたんにとってのモーフィーが、最初はただの大きいオモチャだったのがやがてかけがえのない存在に変わっていくように(こちらは間違いないだろう)、モーフィーにとってのみーたんも、最初はただの鬱陶しい小動物に過ぎなくてもやがては世界で一番大好きな女の子になっていくといいなあ、と思う今日この頃。

最近、「あーあー、うーうー」と一日中しゃべりまくって、うるさいことこの上ないみーたん。
反応してあげないとコミュニケーション能力や知能の発達にも影響するだろうから、いちいち相手するこちらも大変である。自分の両親もこうやって辛抱強く付き合ってくれたのだ(たぶん....)と思うと、なるほどねぇと思ったりもする。
ちなみに、「パパ、ママ」はすでに一応発音することはできるが、まだ特にそれぞれを指しているわけではないようだ。もっとも、モータンが言うには、「いぃー」はモーフ(ィー)のことらしい。たしかに、朝起きてモーを目にすると「いぃー」と叫んでいることが多い。
少し前までは、唇をブルブル震わせてブルルルルルル〜とすることに熱中していたようだが、ここ最近は舌を鳴らしてタンタンタンと音を出すことが彼女のマイブームのようである。そうやって、発音の練習を日々重ねて、やがては言葉を発見し、いつの間にか話し始めるようになるのだろう。なるほどねえ。

人に話すと必ずバカにされるのだが、実はモーフィーも子犬の頃、もう少しで言葉がしゃべれそうだったのだ。いや、ホントに。マジで。
モーを迎えてからというもの、ヤツには事あるごとに普通に話しかけるようにしていた。犬には2、3歳程度の知能があるというから、毎日話しかけていれば、しゃべることは出来なくても、こちらの話を理解することくらいは出来るようになるだろうと考えたからである。
朝起きると、当然「おはよう」と声をかけた。すると、やがてモーは「○▲△◎〜」と変な声を出して返事をするようになったのである。これはホントの話ですよ。
そんなことを毎日繰り返し、なんだかイントネーションも近づいてきたしコイツほんとにそろそろしゃべれるようになるんじゃねえか?!、などとアホな想像までするようになった頃、ある日突然モーフィーはその日本語もどきの発声をすることをやめてしまったのである。
たぶん、ヤツは悟ってしまったのだ。
「あぁ、ボクにはニンゲンのコトバは話すことが出来ないんだ.....」、と。
などという想像をすると、思わず溢れる涙が止まらなくなってしまう今日この頃.....................というのはウソですが、犬も挨拶くらいは出来ればいいのになぁ、とは時々思います。そう思いませんか?
もっとも、あの顔で毎朝「おはようワン」とか言われても怖いのだが。

「あなたの犬は幸せですか」という本の中で、有名なドッグトレーナーだという著者のシーザー・ミランは、犬は嗅覚などを使って人間の心(や健康状態まで)を把握しているし、人間もボディランゲージや「エネルギー」の発散によって犬とある種の会話をすることが出来る、という旨の主張をしている。
また、カレル・チャペックはかの名著「ダーシェンカ あるいは子犬の生活」の中で、愛犬にこう語りかけている。
「ときには通りで、犬どうし遊んで、楽しくゆかいになることもあるだろう。おまえの血と生まれがそうさせるんだ。でもねダーシャ、うちにいるんだ、という気持ちになれるのは、人間といるときだけだ。人間とおまえを結んでいるものは、血よりもずっと不思議でやさしい何かなんだよ。その何かっていうのは、信頼と愛なんだ。」

まぁ、言葉はいらない、ってことですかね。

ふたりはともだち・フォトアルバム

投稿者 かえる : 23:11 | 今日のモーフィー/みーたん