2007年3月21日
本当のギムレットとは??!! 「ロング・グッドバイ」レイモンド・チャンドラー著/村上春樹訳
日本文学史上最高のハードボイルド小説を挙げろ、と言われたら、村上春樹の「羊をめぐる冒険」とオレは答える。
まあ、誰もそんなことは聞いてくれないのだが、ともかくずいぶん昔からそういう答えだけは用意していた。
ちなみに次点は、(月並みだが)原りょうの「そして夜は甦る」である。
村上春樹がデビューした当初から、彼の文体や作品の構造に関して、チャンドラーをはじめとするいわゆるハードボイルド小説の影響が指摘されてきた。
そして、「ついに」と言うべきか「やっと」と言うべきか、村上訳の「THE LONG GOODBYE」というか「長いお別れ」改め「ロング・グッドバイ」が出版されたのでもちろん購入、先ほど読了しました。
その華麗且つやや過剰な修辞や、物語全体の通奏低音となるある種の透明なセンチメントや、その他のあれやこれやから、読み進める中でたびたび小説家としての村上春樹を想起してしまうのは、けっして不自然なことではないだろう。
要するに、チャンドラーの作品が村上春樹の小説になってしまっていると感じがちなのだが、そうではなくてそもそも村上春樹の作品がチャンドラーだったのだ。
というのが言い過ぎであれば、(本人も認めているように)創作上の方法論の多くのヒントをチャンドラーの作品から得、発展させてきたということなのだろう。
まあ、ともかく非常に興味深く、楽しんで読むことが出来た。とても良かったです。
余談だが、「長いお別れ」と言えばまずはギムレットを思い浮かべる人も多いだろう。もちろんぼくもその一人なのだが...........
「ギムレットには早すぎる」ってやつですね。
小説の中でテリー・レノックスがマーロウに向かって「こっちには本当のギムレットの作り方を知っている人間はいない」、そして「本当のギムレットというのは、ジンを半分とローズ社のライム・ジュースを半分混ぜるんだ。それだけ。」と言うシーンも非常に有名である(よく間違えてマーロウのセリフということになっていたりしますが)。
現在のギムレットは、フレッシュライムに甘味をつけてシェイクされることが多いと思うし、どちらかというとシャープなテイストのカクテルという印象が強い。「本当のギムレット」のレシピに倣ってローズ社のライム・ジュースを使うと甘すぎてとても飲めたものではない、などと一般的には解説されていることが多いようだ。「当時のギムレットはとても甘いカクテルだったのです」などという記述をカクテルブックなどでもよく見かけるのだ。
しかし、果たしてチャンドラーがそんな甘ったるい味のカクテルをマーロウに何度も飲ませるだろうか?というのは、誰でも疑問に思うところである。そもそもマーロウはその味を「甘くもあり、また鋭くもある」と評している。ディテールにこだわるチャンドラーが、その味も知らずに、ローズ社という銘柄まで指定するとはちょっと考えにくいのだ。
実は、あるバーでこんな話を聞いたことがある。
「当時のローズ社のライム・ジュースには、甘口と辛口があったのです。つまり、マーロウが飲んでいたのは、辛口のライムジュースを使い、ほどよい甘味を持ったギムレットだったのです。それこそが本当のギムレットなのです」
真偽のほどは定かではないのだが、なかなかロマンチックな話ではありませんか。
でも個人的には、甘すぎるギムレットは、レノックスのキャラクターのある部分を象徴しているし、マーロウが何度もそのギムレットを口にするのも、友人の精神面に内包されたそのやさしさと弱さに対するある種のシンパシーという気がしないでもないのですが、どうなんでしょ?
レノックス自身は、心にも体にも大きな傷を負って帰ってきた米国内では「本当のギムレット」を飲んでいない。小説内でそれを味わうのは、レノックスと別れた後のマーロウである。
つまり「本当のギムレット」とは、レノックスがすでにほぼ失ってしまった本当の自分、英国時代のレノックスの暗喩として機能しているのではないか。だからレノックスは、つかの間の友情を感じたマーロウに「ギムレットを一杯だけ飲んでから自分のことはすべて忘れて欲しい」と最後の手紙に書いたのではないだろうか。そして、だからこそチャンドラーは、「ヴィクターズ」のバーでマーロウに本当のギムレット、かつて存在した本当のレノックスとの邂逅を演出してみせたのではないだろうか。な〜んて思ったりもするのだが、どうなんでしょ?
最後に、蛇足そのものですが......................
本来「ハードボイルド」とは、ヘミングウェイあたりを元祖とする小説技法上のスタイルのひとつであって、「コートの襟立てて、拳銃バンバン」みたいなイメージで語られるアレとはちょっと違うものだと思います。
その辺の文学手法や文学史上の意義については、「ロング・グッドバイ」訳者あとがきでやや間接的ながら詳しく解説されていて、こちらもなかなか読み応えのある内容でした。
「ロング・グッドバイ」 レイモンド・チャンドラー著/村上春樹訳