2007年6月3日

ラブラドールの誓い

「これは悲しいことだけど、破滅の兆しはすでにいたるところに出ているわ。家族の崩壊はもう避けられないことなのよ」
「大丈夫だ、安心してくれ。この家にはラブラドールがいる。だから、家族はこれからも安全だ」



犬と暮らしている人なら多かれ少なかれ感じる機会があるはずだが、時々愛犬の表情や目の動きやバカげた行動に「コイツ、本当は何もかもわかっていて、わざとやっているのではないだろうか??!!」と思わずにはいられない時がある。
この感覚は世界共通なんだなあ、とマット・ヘイグという英国人によって書かれた「ラブラドールの誓い(原題:英国の最後の家族)」を読んで実感した。

かつてあらゆる犬は人間の家族を守るという大義に殉じて生きてきた。
「一つの家族を守ることは、すべての家族を守ることになる」という信念の元に、ひそかに人間社会を陰から支えてきたのだ。
しかし、ある時代にスプリンガー・スパニエルが「スプリンガーの反乱」と呼ばれる変革を犬社会にもたらした。快楽主義者である彼らは、首輪を抜け(スプリンガーって首輪抜けるの上手いの?)、犬自らの快楽を求めて行動することは許されるとの新たな思想を堂々と実行にうつして、世の中の犬たちを煽動したのだ。
多くの犬たちは、この「スプリンガー主義」を受け入れ、次第にかつての義務を放棄し変貌を遂げていった。つまり、「主人を喜ばせるかわりに自分が楽しむために棒切れを取ってくるようになった」のである。
犬の加護を失い、家族は徐々に崩壊を始めたが、人間たちはその真の理由に気付かなかった。彼らは、犬たちが長年自分たち人間を護ってきたとは夢にも思わず、自分たちの家庭生活の崩壊は他の原因によるものと考えていたからだ(共同体の終焉とか、長時間労働とか、食生活の堕落とか.....)。
そんな中、英国のある公園を出発点に「ラブラドールの抵抗」と呼ばれるムーブメントがまき起こった。元盲導犬のラブラドール・リトリーバー「オスカー」が「人間を見限ることは、われら自身を見限ることである」と訴え、やがて全14条からなる「ラブラドールの誓約」が制定されたのである。
現在では、多くのラブラドールが(そして、ほとんどラブラドールだけが)この教えに従い、現世の快楽を追求する「スプリンガー主義」に抵抗を試み、人間の家族を崩壊の危機から救おうと奮闘している。彼らは、人間の家族を守ることによって与えられるという究極の褒美「永遠の恵み」を信じているのだ。
そして、レスキューされたラブラドール「プリンス」が暮らすハンター家にも、ある危機が訪れつつあった。果たして彼は、誓約にしたがって愛する家族を守ることが出来るのだろうか?

というのが、この小説の骨子。
あらゆる単語に「クソ」をつける粗暴なロットワイラーとか(ラブラドールはもちろん馬鹿丁寧な敬語で話す)、「自分自身のために生きるべき」とプリンスを誘惑するスパニエル(スプリンガーではない)の魅惑的な姉妹とか、知的で美しいアイリッシュ・ウルフハウンドの野良犬とか、カリカチュアされた犬種像がちょっと笑える(人によっては怒るだろう)。
プリンスと一緒にハンター家で飼われている猫のラプサンと彼の会話も、さもありなんという感じか。

「人間の家族に近寄りすぎると、最後には彼らとともに破滅するということよ」
「悪口を言うつもりはないけど、きみはやはり猫だ。忠誠心とか義務感とかいうことは、猫には理解できない領域だと思う、ちがうかい?」
「たしかに、そうだわ、プリンス坊や。でも、あたしたちは、苦悩のことなら知っているわ。人間の家族のことも理解しているわ」


スプリンガーの血をひくフォールスタッフは、最終的な局面になって、それまでの軽薄な言動とは異なる別の貌を露わにし、その毒舌を通して、「スプリンガー主義」が決して堕落的で奔放にしか過ぎないというわけではないことを示唆する。

「おれたちは何ものでもない。息をしている飾り物だ。トイレットペーパーの宣伝をして、幸福な家族の夢を売りつける道具だ。だからその仕事を適当につとめながら、自分たちの楽しみにふけっていい」
「人間の家族は滅びる運命にあるのだ」


そして、ラブラドールは。ラブラドール・リトリーバーのプリンスは、あくまでも無垢で誠実だ。

「愛だ。愛を感じるのだ。愛が部屋の隅々から漂ってくる。化粧タンスやテーブルに、卓上ランプやスツールに、壁紙や額縁の絵に、部屋のなかのあらゆるものに、愛がふくまれている。センチメンタルと思うかもしれないが、ほんとうだ。しかたがない。わたしはラブラドールだから。
私の知っていることはすべてがセンチメンタルだ。」


思うに、この純真さを(愚かさ、と言ってもいいかもしれない)愛せるか否かが、人がラブラドールという犬種を好むか否かの分かれ道なのかもしれない。

もっとも、動物によって語られるほとんどの物語と同様に、もちろんこの小説が本質的に風刺しているのは「人間」についてである。

「私もいまは理解している。私たち犬と人間とのあいだに根本的な違いがあることを。そしてその違いこそ、彼らが私たちの援助を必要とする理由を明らかにしている。その違いとはこういうことだ。犬は本能を押さえることを学習できるが、人間はそれができない。その見込みがまるでないということだ。」
「彼らはいくら過ちを経験しても、教訓を学ぶことがないのである。」
「人間は死と性欲を支配する必要を感じている。それは私たち飼い犬に対する彼らの態度を見ればわかるだろう。彼らは私たちが自然死する前に命を奪い、あるいは睾丸を切りとって去勢したりする。しかしそれは飼い犬を自由に支配するためではなく、実際には彼らの生活を支配する双子の力、死と性欲を支配しようとするためである。つまり、私たちを生来の衝動から救おうとしながら、現実には彼ら自身をそれから救おうとしているのである。」


もちろん、物語は悲劇的な展開をみせ、やがてその結末を迎える。
つねに、人は愛のために罪を犯す。あらゆる戦争や諍いは憎しみから始まるのではない、それは家族や同胞への愛を母体として生まれるのだ。
残念ながら、世界はラブラドールが信じるほどシンプルではない。
そのことを、他ならぬラブラドールのプリンス自身が体現することになるのだ。


読了後まず感じたことは、「ドンくさくてお人好し」というラブラドールのイメージは本家本元のイギリスでも変わらないんだなあ、ということ。
そして、イギリス人男性というのはつくづく根がクラいなあ、ということである。
彼らの歪んだユーモア感覚というものは、時に不愉快ですらある。

「<<ラブラドールの誓約>>  第十四条 永遠の恵みを信じよ
この地上で人間の家族を守るならば、われらは死後の世界において、おのれ自身の家族と一つに結ばれるであろう。
これがわれらに与えられる褒美、「永遠の恵み」である」


たとえその辛辣さが真実を的確に描写しているとしても、個人的にはハリウッドの脳天気さといかがわしさの方が好きかもなあ、と思ったりもして。たぶん。なんとなく。
まあ、そう感じてしまった時点で、すべてを戯画化してみせようという作者の策略に見事はまってしまっている、ということなのかもしれない。
はぁ。


投稿者 かえる : 21:54 |

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