2008年9月26日
バンフ・マウンテン・フィルムフェスティバル、プレ・イベントへ
ちょっとしたきっかけから、数年前にキャンプ場で知り合うことができたアウトドア界の重鎮且つ生き字引とも言えるSさんから、かの「BANFF MOUNTAIN FILM FESTIVAL IN JAPAN」のプレ・イベントのチケットをいただくという幸運を得たので、定時ジャストに仕事場を後にし、会場のゲートシティー大崎まですっ飛んでいった。
「バンフ・マウンテン・フィルムフェスティバル」は、カナダ・アルバータ州の街バンフで毎年11月に開催されている「山岳」「冒険」「大自然」「人間」「環境」をテーマにした作品が多数出展される一大アウトドア・ドキュメンタリー映画祭で、そのうちの優秀作品を集めて上映されるワールドツアーの一環となる日本開催はパタゴニアが主催している。
一般にはともかく、アウトドアスポーツを趣味とする人々の間では非常に有名なので、チケットがソールドアウトすることも多いようだ。
ぼくは観に行ったことはないのだが、チョーかっこいいトレイラー(必見!!!)には昨年も楽しませてもらった。
今回ご招待いただいたプレ・イベントは、基本的にはゲートシティ内の入居者を対象としたもので、昨年度作品の中で特に人気の高かった上位4作を上映するというもの。
「いや、ソコは無理だろ」っていう場所をマウンテンバイクで疾走しちゃう人とか(Roam)、雪崩起こしながら急斜面を滑走するスキーヤー......!とか(Anomaly)TEASER、ドロミテの300mはあろうかという岩壁をクライミングしちゃう全盲の2人&両足義足の1人のパーティとか(Mountains without Barriers)TEASER、ビルのわずかな隙間もクラックに見立ててよじ登っちゃうクラッククライミング馬鹿(失礼!)とか(First Ascent:Didier vs The Cobra)TEASER............もう全編「あ、あ、アブナイですーーーーー。よい子のみなさんは絶対マネしないでくださ〜〜い!!!!」という感じで、1時間半まったく退屈しない面白さだった。
本年度開催分のチケットも残りわずか、という状況にも納得がいくな。
終了後は、こちらもSさんからご紹介いただいたインドレストラン「アヒリヤ」へ。
ご友人が経営されているそうなのだが、メディアで紹介される機会も多く、最近は行列が出来てしまうほどなのだとか。
いかにも会社の飲み会といった雰囲気の団体客が多かったのはちょっと意外だったが、味は素晴らしく、しかも比較的リーズナブルな価格設定だった。タンドリーチキン付きのビールセットとマトンローガンジョーズ、ナンですっかり満腹。
お隣のアイリッシュパブもちょっと気になったな。
Sさん、どうもありがとうございました!!!
ちなみに、感謝感謝の大満足で帰宅したら、我が家では「女の飲み会」なるものが盛大に開催されていた。。。
投稿者 かえる : 23:37 | 映画 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年2月10日
キサラギ
昨年あちこちで評判を耳にした、映画「キサラギ」。
全編密室で展開されるコメディタッチの推理劇なのだが、ホロリとさせる場面などもあって、噂通りの素晴らしさだった。
まさに今が旬と言えるかもしれない俳優さん達の演技も見応えがあるが、何と言っても圧巻だったのは見事にツボを押さえた作りとなっている脚本。
それもそのはず、「ALWAYS 三丁目の夕日」を書いた古沢良太さんという方が原作・脚本共に手がけているようだ。
それにしても、確かに「アイドル」という存在の意味は、不思議且つ切ないものですなあ。
投稿者 かえる : 23:36 | 映画 | コメント (5) | トラックバック (0)
2008年1月18日
earth アース
これはスクリーンで観ておいた方が良かろう、と思い映画「earth」を鑑賞。
映像は、たしかに美しい。素晴らしいです。
子供の頃、「野生の王国」とか大好きだったので、こういう映像はただ眺めているだけでちょっとワクワクする。
でも、でもですね、「映画」の本当の魅力って、そういうコトとはちょっと違う、と思うのだ。
音楽の素晴らしさが、その音質と必ずしも比例するわけではないように。
別に「皇帝ペンギン」のように動物を擬人化して感情移入しやすくした方が良い、ということではない。
「WATARIDORI」のような新鮮さがない、という意味でもない。
なんというかその、「子供向けの教育番組」もしくは「丁寧に作ったNHKスペシャル」みたいな印象で、映画が持つ魅力の最大の要素である「何か」が感じられなかったのだ。
感心はするけど興奮はしない、と言うか....................文句はないけど特別に心は動かされない、と言うべきか..............................。
ドキュメンタリーと比較すること自体がアレかもしれませんが、同じく大自然の映像が印象的な「狩人と犬、最後の旅」にはその「何か」が確かにあった、と個人的には思う。
たぶん貴重な映像記録なのだろうし、撮影には大変な忍耐と技術がいるのだろうけど、ぼく個人が「映画」に望んでいるのは(あるいはぼくの考える「映画」の力とは)そういうコトではないので、正直ちょっと残念だった。勝手な期待が大きすぎたのかも......。もっとも、子供と一緒に観る映画としてはとてもいいので、子供500円キャンペーンはナイスな企画だと思います。
ついでに言うと、これはまったくの偏見かもしれませんが、こういう映画を観て「この美しい地球を私たちは救わなければいけないのです。温暖化を止めなければ!!!」とか言い始める大人はちょっと信用できない、という気がしちゃうんだよなあ。何となくだけど。
もうひとつついでに言うと、「ユナイテッド・シネマ浦和」はビールの値段が高すぎる!!!
映画館自体は素晴らしいと思いましたが、その点は改善して欲しい〜〜〜〜〜〜!!!
投稿者 かえる : 22:35 | 映画 | コメント (2) | トラックバック (1)
2007年1月27日
見なきゃわからない
当たり前といえば当たり前の話だが、小説の良否は自分で読まなきゃわからないし、有名レストランの味や雰囲気は実際に訪れてみないとわからない。そしてもちろん、ある映画が面白いか否かも、自分で観てみないことにはわからないから、油断はできないのである。
当然「好みは人それぞれだから」ということもあるが、そういう意味ではない。
得てして、世間の評判や自分勝手な先入観で、何となくわかった気になってしまいがちなのだ、ということである。
「名作のリメイクや続編映画は決まって駄作」とよく言われる。経験上は、確かに個人的にもそう思う。
ところが、お目当ての作品が軒並み貸し出し中だったために仕方なく冗談半分で借りてきたピーター・ジャクソンの「キング・コング」は、とても良かったのである。
やや冗長に感じる部分もあるにはあるが、サービス精神に溢れ、充分に楽しめる作品であった。
新しい「日本沈没」にも、予想外の満足。
最近の日本映画を観ていると、やっと過去の偉大な亡霊(わかりやすく言うとクロサワとか)から自由になった、という印象を受ける。
小松左京氏の原作との差違を問題視する向きもいるようだが、個人的には「わかってないね」と言いたい気分だ。
何日か前の朝日新聞に、いわゆる「おれちん」の一例として旧作との対比がなされていたように記憶しているが、それに対しても「わかってないね〜」と言いたい。
と言いながらも、よくよく考えてみると、件の「おれちん―現代的唯我独尊のかたち」自体は読んでいなかった。
またしても、「わかった」気になりかけていました。
やっぱり、油断できないのである。
投稿者 かえる : 22:02 | 映画 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年10月2日
ALWAYS 三丁目の夕日
遅ればせながら、「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た。
いやぁ、泣けました。
飼い犬や野良犬(捨て犬じゃないぞ)が呑気に闊歩する街並みってイイね。
「ALWAYS 三丁目の夕日」
投稿者 かえる : 02:22 | 映画 | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年9月18日
サイドウェイ - Sideways
ずっと気になっていたものの、何となく手が伸びなかった映画「サイドウェイ」のDVDをやっと観た。
想像していたより、格段に面白かった。でも、できれば映画館で観たかったな。
それにしても、ワイン片手にピクニックはいいなあ。
機会があったら真似しようっと。
あちこち寄り道しながら、飲み頃を迎えるまで静かに熟成していく。
恋愛も人生も、そういうものなのね。
な〜んちゃって。
「サイドウェイ〈特別編〉」
投稿者 かえる : 01:28 | 映画 | コメント (5) | トラックバック (0)
2006年8月25日
狩人と犬、最後の旅
ずっと楽しみにしていた「The Last Trapper - 狩人と犬、最後の旅」をやっと観てきた。
ロッキー山脈に暮らすマウンテンマン、ノーマン・ウィンター。最後のトラッパー(罠猟師)の物語。
す、素晴らしすぎました。
フォーストシークエンスからラストシーンに至るまで、その美しさと気高さに、圧倒された。
「いきるとは、こういうことだ」というキャッチコピーがついているが、「人間と犬の理想の関係とは、こういうことだ」という印象。
言葉を失うような映像美が展開されるのだが、同時に数少ないセリフが効果的に胸に刺さる。
「獲物を殺す理由を問われれば、肉と毛皮をとるため、と答える。憐れみはもたない。(彼らに)感謝する」
「狩人は動物を殺すことで、この自然を守っている。矛盾するようだが真実なのだ」
「我々は自然と調和するべきだ。人間は自然の一部なのだ」
うろ覚えなので、まったく正確ではありませんが........
それにしてもノーマンとその妻は、実に犬をよく褒め、常に話しかけていた。
褒めて褒めて褒めて、過酷な作業を犬達に課すのだ。
そしてそれを求められた犬たちの充実しきった顔といったら........
あれこそが犬の喜びであり、犬の幸せなのだろう。
パンフレットに寄せた野田知佑氏の文章にもこう記されていた。
「犬との付き合いの基本はほめることだ。そうして心を通じていないと、いざという時にいうことをきかない」
まあ、そういうことだ。
はてさて、スポイルされきった我が家の愛犬モーフィーちゃん。
コイツとはどうやって付き合っていったらいいのだろう?
当たり前だが、現代日本のいち地方都市である浦和は、ロッキー山脈とは自然環境も社会環境もまったく異なる。
やたらに褒めたり話しかけたりすりゃいいってものでもない。
ヤツらがそのプライドを確立できるハードな仕事を与えつつ褒めまくる必要があるのだ。
ちょっと難しいなあ..........
だから日本の犬はすぐに病気になっちゃうのだ。
とりあえず、今度山に登る時は、オレのザックでも担がせるか......?!
それはちょっと違うか..............
投稿者 かえる : 23:23 | 映画 | コメント (5) | トラックバック (0)
2006年6月24日
M:i:III
ドイツでのミッション・インポッシブルは、残念ながらやはりimpossible dreamであった。
現実はキビシイのだ。
そこで、impossibleなmissionを成功させるためには何が必要なのか?、日本人の一人として学ぶ必要性を感じて(ウソ)、先行上映が始まった「M:i:III」をさっそく観に行った。
感想=素晴らしい!!!
トム・クルーズはもちろん、脇役、敵役、すべてがパーフェクト。
全米公開時の評判は芳しくない、と聞いたので心配していたのだが、個人的にはまったくの杞憂に終わった。
イーサン・ハントのゴール決定力......じゃなかった活躍は、決して期待を裏切らないのだ。
「よくよく考えてみるとソレって変じゃないか?」という箇所もあるのだが、圧倒的なスピード感で映画が進んでいくので、観ている時はまったく気にならない。やっぱり、アクション映画はこうでなくちゃ。
ああ面白かった。
監督は、テレビシリーズで名をなしたJ.J.エイブラムスという人物だという。
日本と同様に、近年はハリウッドでもテレビ出身のスタッフが面白い作品を作る傾向があるのだろうか。
生粋の映画人は、マンネリ化した映画作法の裏をかく斬新な作風にチャレンジしがちだが、テレビ出身の人々は(異なる表現の場として憧れてきた)映画が本来持つ魅力をオーソドックスな手法で素直にフィルムに焼き付けるから、なのかなあ.....?!
それにしても、最近はその言動や親バカぶりで話題になることが多いトム・クルーズだが、すごく頭のいい人なんだろうなあ、といつも感心させられる。キャリアの築き方が計画的だし、映画に対する愛情や情熱、そして一流スターとしての誇りと責任感を強く感じます。
ハンサムな二枚目スターが期待を裏切らずにキャリアを重ねていくことは、とても難しいし、なにより勇気が必要だと思う。普通は「自分はアイドルじゃなくて演技も出来るちゃんとした俳優なんだ」とばかりに汚れ役を望み(例えばブラッド・ピットみたいに)、やがてその多くは輝きを失っていくものだから。
明るく正義感に溢れたAll-Americanなスターとしてのイメージを守りつつ、同時に映画界に多大な貢献を続ける俳優としてロバート・レッドフォードがいる。
トム・クルーズには、彼のようでいて欲しいな。
しかし、レッドフォードの時代と今では、そもそも大衆がスターに求めるものが変化している。その道は険しいだろうが、ソレが出来そうな映画スターは他にはあまり見あたらない。
映画界のエース・ストライカーとして、これからもがんばってね、トムさん。
ところで、トム・クルーズはかつて立派に侍になりきったが、SAMURAI BLUEはなぜイーサン・ハントになれなかったのだろう?
impossibleと思われるmissionを成功させるためには、いったい何が必要なのだろう?
その答えは、この映画の中にもしっかり描かれていた(ウソ、でももしかして半分ホントかも)。
「M:i:III」では、イーサンの人格や、彼を中心とする仲間達のチームワークが、前作、前々作以上に効果的に描写されている。
「不可能な任務の成功」に映画的なリアリティを与えるために、様々な要素が映画的に提示される。
緻密な計算に基づく計画とその周到な準備、個性や特技を生かした適材適所な役割分担、友情と信頼とプロ意識を基盤とした強固なチームワーク。
それでも、作戦はたいがい計画通りにはいかない。
そりゃそうだ、じゃなきゃ面白くもなんともない。
そしてもちろん、そんな状況を打開するのは、個人の機転や勇気や行動力、ひとことで言えば挑戦する姿勢である。
無謀な跳躍や、危険な決断や、限界を超えた疾走、の先に奇蹟は起こるのだ。
しかし、(そもそも当たり前の話だが)誰もイーサンに対して「自分の判断で自由にやれ」なんて言ってくれてはいない。
国の思惑、組織の都合、個人の信念。そういったアレコレにがんじがらめにされた中で、イーサンはやむにやまれず、大きなリスクを自ら背負い、周囲に反対され時には敵にまわしながら、勝手に決断し勝手に行動するのだ。
そうやって彼は、最終的には、恋人を救ったり、地球(というかアメリカ)を救ったり、自らの夢を叶えたりするのである。
そして、ぼくらは拍手を送り、ハッピーな気分になって映画館を後にする。
では、イーサンがリスクを背負ってでも個人の自由な発想で、勇気ある(そして非常識な)行動を起こすのは(あるいは、起こせるのは)なぜだろう?
もちろん、そうじゃなきゃ映画にならないからなのだが、「それってけっこうマズイんじゃないの?」ってくらいムチャクチャやって帰ってきたわりには元の職場で奥さんと一緒に結婚を祝福されているというハリウッド・エンディングなラストシーンを観ながらぼくが思ったことは........
最終的に成功をおさめた者には、とりあえず無条件の賞賛と拍手を与える社会。
皆が目をそらしたいと思っている戦争が行われている国で懸命にボランティアをしていて誘拐され目立ちゃった人、多くの国民が支持している首相が目指すと公約した社会のお手本的な経済活動の結果たくさん儲かり過ぎて目立ちゃった人、それらの人々が巧みに理由づけられ猛烈にバッシングされる社会。
たぶん後者の社会を持つ国から、取り返しがつかないほど大きなリスクを背負ってでもシュートを打とう........じゃなかった行動を起こそうと考える個人は、まあなかなか出てこないだろうなぁ〜、ということ。
だってソレって、たんなるおバカさんか、数十年に一人の天才か、救いようのないロマンチスト、ってことでしょ。
おっと、例によって本題より蛇足の方が長くなってしまった..............
まあともかく、個人的にはかなり楽しめた映画、ということですわ。
投稿者 かえる : 23:59 | 映画 | コメント (4) | トラックバック (0)
2006年6月18日
映画の学校
映画館「大宮ハタプラザ・ハタシネマ」が、本日をもってその30年に渡る歴史に幕を下ろすという。
ここは、ぼくの映画の学校。
子供の頃は、映画好きの叔父に毎週のように連れてきてもらっていた。
「ベンジー」も「がんばれベアーズ」も「アドベンチャー・ファミリー」も「スター・ウォーズ」も「地獄の黙示録」も、トリフォーも黒澤明もスコセッシも角川映画も、ここか大宮オリンピアではじめて観たのだと思う。
もちろん、その後も映画鑑賞といえばここがデフォルトだった。
時には一人で、時には友達と、そして結婚する前のモータンと二人で、スクリーンの前で泣いたり笑ったりハラハラしたり、ついでにボーリングしたり。
とにかく、数え切れないほど足を運んだ場所である。
オープン当時の謳い文句は「東京と同時封切り」とのことだったらしいが、ぼくの印象としては、よほどの人気作以外は2本立てで上映しているお得な映画館、という感じであった。
でも、それが地方都市映画館故のいいところだったと思う。オマケに併映された作品の方が、はるかに面白かったことも度々あったのだ。
これも時代の流れだから仕方がないのだろう。
そもそもぼくも、ネットで予約して列ばずに済むシネコンが出来て以来、すっかり足が遠のいている。
なんだかさびしい、と思うのも勝手な話ですね。
思えば子供の頃、映画を観るということは、ホントに特別なことだった。
テレビ放映なんて数年後だったし、レンタルビデオ店なんてなかったから。
ローカルな焼き肉屋だの、婚約指輪だの、毎度お馴染みのCMが終わった後、カーテンが全開していよいよ本編が始まる。
あの瞬間の、なんとも言えないワクワク感は、今でもはっきり覚えている。
ここではないどこか、へ連れて行ってもらえる幸福な時間の始まる瞬間。
ありがとう、大宮ハタプラザ・ハタシネマ。
そして、さようなら。
投稿者 かえる : 18:07 | 映画 | コメント (11) | トラックバック (0)
2006年5月27日
ダ・ヴィンチ・コード
雨だし映画でも観に行くか、ということで話題の「ダ・ヴィンチ・コード」鑑賞。
原作をほぼ忠実に映像化した、という印象。
かといって、映画としての魅力に欠けるというわけではなく、キチンと楽しめた。
もっとも、原作を読まずにこれを観て、果たして細部を理解できるものなのかはちょっと疑問です。
まあ、なにせ1000万部を超えるベストセラーなので、ほとんどの観客は既読であるという前提で作られているのかもね。
投稿者 かえる : 23:55 | 映画 | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年3月21日
モーターサイクル・ダイアリーズ
ロバート・レッドフォードが製作する映画は、どれもおもしろい。
本作のDVD収録インタビューで語っているように「(映画作家は)世の中に何か伝えたいことがあるならば、人々が楽しめる映画を通して伝えるべきだ」という姿勢が好きです。
製作総指揮でクレジットされている「モーターサイクルダイアリーズ」もまた、素晴らしい映画だった。
キューバ革命の英雄、伝説的な革命家であり時代のイコン「チェ・ゲバラ」が20代前半の頃行った、南米大陸縦断の大旅行を描いた青春ロードムービーである。
Tシャツでよく見かける革命家は、バックパッカーの元祖でもあったのね。
南米の荒涼とした風景が、美しく、もの悲しい。
旅の終盤にたどり着いたハンセン病患者の治療施設、重症患者は大河の向こう岸に隔離されている。
誰も泳ぎ切ったことがないというその川を、周囲の反対を押し切り夜中に横断するシーンが、心優しい裕福な医学生青年の中に芽生えた革命家としての萌芽を象徴していて、強く心に残った。
「僕は皆が知ってるような(チェ・ゲバラの)神話には興味がない。彼がなぜ"チェ・ゲバラ"になったのかが知りたかった」(ロバート・レッドフォード)
まさに、そんな映画だった。
「旅」は否応なく人を変えていく。
そうでないものは本当の意味での「旅」ではない、のかもしれないな。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」
投稿者 かえる : 12:53 | 映画 | コメント (0) | トラックバック (1)
2006年3月18日
南極物語
人間に置き去りにされた犬たちがバタバタと死んでいく映画がなぜ感動作なのか?、よりによってディズニーがリメイクするとはどういうこと?、とずっと不思議に思っていたのだが、なるほどこういうことね。
キチンとした作品でした。単なる犬のサバイバル物語ではなく、人間と犬の関係の本質を描いている点が。
納得しながら、モーと一緒にテレビでオリジナルの「南極物語」を鑑賞。
犬がたくさん出てくるので、ヤツも興味津々の様子であった。
雪原を疾走する犬の姿は美しいねえ。
夏目雅子さんも美しいねえ。(関係ないか...........)
荻野目慶子さんにもあんな時代があったんだねえ。(これも関係ないか.........)
映画の中では、犬も人間も格好良かった。
やっぱり、使役犬はああでなくちゃね。
案外日本人は、昔の方がよっぽどうまく犬と暮らしていたんじゃないか?
それにしても、ソファを独占し、さっぱり緊張感のない、我が家の愛犬のスポイルされ具合ときたら........
橇でも引かせてみるか!?
投稿者 かえる : 23:56 | 映画 | コメント (2) | トラックバック (0)
2005年11月5日
SWING GIRLS
レンタル店ではいつも貸し出し中で見ていなかった「SWING GIRLS」が、テレビ放映されていた。
アレコレやりながら、なんとなく眺めていたのだが、SWING GIRLSたちの演奏に引き込まれた聴衆の手拍子が表からウラ拍に移り変わっていくシーンで、ちょっと泣けてきてしまった。
我ながらバカみたいだけれど....
「人間は2種類に分けられる。
スウィングするものと スウィングしないものだ!」
投稿者 かえる : 23:13 | 映画 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年10月5日
A LETTER TO TRUE / トゥルーへの手紙
モーフィーへの手紙
モーフィー。
君に手紙を書こうと思う。
毎日どこかで、悲劇的な喜劇がくり返されている、このいびつな世界の片隅から。
犬に手紙だなんて変だと言う連中もいるだろうが、君はぼくの話を何かの啓示と勘違いして黙って聞いてくれる唯一の相手だからね。
今日、映画を見たんだ。
哀しくて、美しい、映画だったよ。
でも、その哀しさと、その美しさには、君に出逢っていなければ、気付くことはなかったかもしれない。
君と同じ瞳をした仲間がたくさん出てきたよ。
6月の岩魚のように幸せそうな彼らの映像の直後には、決まって戦争の場面。
ピアノの白鍵と黒鍵のように繰り返されるコラージュだった。
そう、犬と戦争は切っても切れない関係だからね。
今読んでいる「ベルカ、吠えないのか?」という本からも、そのことはよくわかるよ。
なぜかって?
人間と戦争が切っても切れない関係だからに決まってるじゃないか。
めんどくさくなったので、この辺でやめます.......
あーーーーーー、まさかまさかまさか、まさかこんなに素晴らしいとは!!!!!!!!!!!
映像も、音楽も、そこで語られる言葉も、すべてが完璧だった。
出てくる人々は、みんなかっこよかった。
ブロッサム・ディアリーの「マンハッタン」が流れるシーンと、そこに込められた願いは、涙がでるほど素敵だった。
映像と音楽がこれほどまでに理想的な結婚を果たした映画を、たぶんぼくは知らない。
そもそも、ブロッサムを2曲も使うなんて、なんて気が利いてるんだろう。
サントラも、もちろんもちろんもちろん、もちろん最高。
無垢と幸福と平和の象徴である主役がラブじゃなくてゴールデンなのは、この際だから許すことにしました。
モーフィー。
ブルース・ウェバーの元に届いたジョンとヨーコからの絵葉書には、こう記されていたそうだよ。
WAR IS OVER! IF YOU WANT IT.
「トゥルーへの手紙」
投稿者 かえる : 23:54 | 映画 | コメント (5) | トラックバック (2)
2005年6月25日
すべては愛のために - STAR WARS EPISODE III
完全なる「善」と絶対的な「悪」。
「フォース」と、その「ダークサイド」。
まったくの対極に位置するものとして描かれてきた、いやぼくたちがそう理解してきたそれらは、シリーズ最終作となる今作で劇的に異なる貌を覗かせることとなる。ジェダイとシスは、実際にはほとんど同じ存在である
死は、生の一部分なのだ
9.11とそれ以降の世界がこの壮大な物語に与えた影響は、あまりに大きい。
「世界の平和と安定」のために、民主主義を謳う共和国制が崩壊し、帝国が誕生したその瞬間、パドメは呟く。自由はこうやって死んでいく、万雷の拍手の中で
お気楽なSFドンパチ映画は、9.11を経て哲学的な叙事詩へと変貌し、物語の最後のピースがはまる。
フォースは常にダークサイドを内包し、
生は死なくしては成立しない。
そして、すべては愛のために。
ダークサイドへ堕ちたアナキンについて、死の間際パドメが漏らした言葉は、アメリカ人・ジョージ・ルーカスからの世界へのメッセージではないか。でも、彼の中にまだ「善」は確かにあった
STAR WARS
投稿者 かえる : 23:31 | 映画 | コメント (4) | トラックバック (3)
2005年3月26日
いぬのえいが
「いぬのえいが」を観に行った。
コクーン新都心とともに最近出来たシネコンMOVIXさいたまは、我が家から夜なら車で10分の距離。
以前によく利用していたワーナー・マイカル・シネマズ 大宮よりずいぶん近くなったので助かる。
ミュージカルあり、ポエムあり、アニメあり、のオムニバス形式。
アニメにはペットブームの暗部と犬を飼うことの本当の意味が象徴的に描かれている。
映画の軸となるのは、中村獅童演じる山田くんと柴犬のポチの友情物語。
このありふれた主人公と犬の名前は、もちろんぼくや君やあなたやその犬たちを隠喩している。
ぼくたちは、犬の表情や仕草や鳴き声や、出会ってから死に至るまでのその振る舞いのすべてに何かしらの(擬人化した)意味を求め、それを見いだす。
しかし、犬との関係をすべて行動心理学的なアプローチで理解しようとする人々は、それを笑う。犬は反省しない、犬は悲しまない、犬に論理的思考回路はない、etc.etc.。
正確に言えば、ブラックボックスである精神の内面を主観的に判断するという姿勢はあえて持たない、という立場に立っているのであろう。
たしかに各種の訓練を行う上では、合理的な態度である。たぶん、正しい。
でも、犬と暮らすという本当の醍醐味はそこにはない。
犬が、ボールを探すとき、誰かに向かって吠えるとき、あなたの後を追いかけるとき、何かをあるいは誰かを待ち続けるとき、その短い生涯を閉じるとき。
たぶん、そこに意味はない。
でも、人がそこに何かしらの意味を見いだすことにこそ、意味があるのだとぼくは思う。
こんなはずじゃなかった不完全な人生を送っている、不完全なぼくたちのその隙間を、完全に埋めてくれる不完全な動物。
それが、犬だ。
DOGを逆に読むとGODと言われる所以だ。
この映画は、たぶんそういう映画です。
なーんていうのは嘘かもね、テキトーにそれらしいことを書いてみただけかもよ。
でもまあともかく、けっこうおもしろく、楽しめる映画です。
犬を飼っている(あるいは飼っていた)人が観れば、号泣を保証します。
言うまでもなく、あなたが山田くんで山田くんはあなた、だから。
ポチはあなたの愛犬であなたの愛犬はポチ、に他ならないから。
投稿者 かえる : 23:55 | 映画 | コメント (3) | トラックバック (18)
2005年3月21日
いっしょに歩いていこう
「クイール」がテレビで放映されていた。
監督・崔洋一の演出も、俳優陣の演技も、素晴らしい。
テレビシリーズ「盲導犬クイールの一生」は、盲導犬育成への理解を世に広めた点では意義深いが、別の言い方をすればただそれだけのドラマだった。運転免許更新の際に見せられる交通安全啓蒙のビデオとそのドラマとしての完成度においては大差がない。
映画「クイール」が描いたものは、誤解を恐れずに言えば、盲導犬云々とは関係がない、と思う。
盲導犬はその一生で何度もパートナーが変わる。
それを、かわいそうだ、という人がいる。
そのたびにいっぱいの愛情を得て幸せだ、という人がいる。
この映画はそういった問いへの答えを、いっさい提示しない。
なぜか?
描きたかったのはそういうことではないから、だとぼくは思う。
映画が繰り返し映し出すのは、人と歩く犬の姿。
パピーウォーカーと、訓練士と、盲導犬ユーザーと。
主人公のユーザーが自らの人生の最後に行ったのは、クイールとたった30メートル歩くことだった。
犬とは、いったいどういう存在なのか?
人間と犬との関係とは、いったいどういうものなのか?
この映画が提示し続けるのはそのことだけである、と思う。
ラストショット、子犬がぼくらを見上げるカット。
何かを懸命に伝えようとしているように、ぼくには思える。
どこまでもいっしょに歩いていきましょう、と。
投稿者 かえる : 21:32 | 映画 | コメント (2) | トラックバック (1)
2005年3月12日
School of Rock
サイコー!
カンドー!!
ケッサク!!!
ぶりばりバカ!!!!
Let's ROCK!!!!!
投稿者 かえる : 04:56 | 映画 | コメント (2) | トラックバック (0)
2005年3月10日
いぬのえいが
モーフィーのかかりつけの病院では、院長が執筆したメールマガジンを発行している。
最新号で3/19公開の「いぬのえいが」の試写を観た感想が書かれていた。
実際に映画を観る前は『かわいい犬の映像を羅列した退屈な内容なのかなぁ』と冷めた感覚で椅子に座っていたのですが・・・映画が終わったときには、涙腺がゆるみ、胸がギューッと締め付けられました!
この映画を作った人たちの、熱いメッセージも伝わってきて、単なる犬の映画ではないという感想を持ちました。帰宅して自分の犬と猫にハグしてしまったくらい、心温まるお話でした。
とのこと。
正直言ってぼくも、ペットブーム便乗映画的な印象を持っていた。
ホントかなー、観てみようかな....
映画「クイール」は予想をはるかに上回る素晴らしい作品だった。
これも期待できるかも。
投稿者 かえる : 00:38 | 映画 | コメント (9) | トラックバック (2)
2005年2月20日
映画日和〜ヴァージン・スーサイズ、バイオハザードII、ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
朝から一日雨だったので、レンタルしてきたDVDを観て過ごした。
ヴァージン・スーサイズ
美しい5人姉妹が自殺する話(と言ってしまうとみもふたもないが...)。
名作「ロスト・イン・トランスレーション」のソフィア・コッポラの監督デビュー作らしい。
若さの持つある種の「痛み」とその空気感を、木漏れ日やそれによって生まれる影、抜群の選曲によって、上手に演出している。画面全体に思春期特有の儚さが溢れていた。
※後日DVD特典のインタビューを見ていたら、ソフィア・コッポラが「人生には長くは続かない完璧な瞬間がある、この映画ではそれを描いた」みたいなことを言っていた。
主人公の姉妹達にとってのそれがダンスパーティーの夜なら、映画の語り手である少年達にとっては、憧れの姉妹達と電話越しにポップスのレコードをかけ合うひとときがそれだったのだろう。
そのシーンは、実に切なく美しい。
それは、Hello It's me!と始まり、キャロル・キングの「So Far Away」で終わる。
完璧だったあの瞬間は、もはやはるか彼方、遠い記憶の中にのみある....ということなのだろう。
スバラシク、セツナイ。
バイオハザードII
観ているこちらの頭がバイオハザード状態です。
でも、パート1よりこっちの方が好き。
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
ハリポタ君たちが何だか妙に色っぽく成長していた。
このキャスティング、もうそろそろ限界かー?
ところでこの3作品、冷静に考えてみると、滅茶苦茶な組み合わせであったのであーる。
投稿者 かえる : 00:55 | 映画 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年2月6日
LEON
寝不足が続いていたこともあって、少し体調を崩した。
せっかくの土曜日だが家で大人しくしていることにした。
熱めの風呂につかって、早めにベッドに入り、寝ながら何かビデオを観ようと思った。
あまりの寒さにレンタルビデオ店へ出かけるのも億劫なので、自宅にあるもので我慢することにした。
「LEON 完全版」
ナタリー・ポートマンの意志に満ちた美しさが、何度観ても眩しく哀しい。
少年・少女はある時点において、彼らだけにしか持ち得ない美を発散するように思う。
そして、ありのままのそれをフィルムに押さえることに成功した作品は、永遠に名作として名を残すことになる。
少年だけの持つ魅力は(成熟した)男性とはまったく異なるものだが、少女のそれはすでにその内に女を宿した蛹の美しさなのであろう。
この映画の少女は観ていて胸が痛くなるほど、美しい。
映画のオープニング、カメラがニューヨークを捉え、路上を進み、リトルイタリーの一軒のレストラン(のミルクが注がれたカップ)に焦点をあわせるシーンがスキ!
ハリウッド映画としての要件を十二分に満たしながら、けっしてその美的センスは汚されていないことが随所で証明されている。
フランス人の色彩感覚ってホントに凄いですね。
ずいぶん印象が異なるオリジナル版も、観直したくなりました。
投稿者 かえる : 10:38 | 映画 | コメント (0) | トラックバック (0)